韓国世論調査会社リアルメーターのおかしな設問

 先ごろ韓国の世論調査会社リアルメーターは、憲法裁判官候補の李美善(イ・ミソン)氏について、「不適格」との意見が55%に達し、「適格」の29%を大きく上回ったとの調査結果を発表した。共に民主党イ・ヘチャン代表は翌日、「重大な欠格事由はない。(世論調査をやり直せば)もっと良い数字が出るはずだ」と述べた。イ代表の主張に沿うかのように、リアルメーターは2日後、李氏の任命について、「賛成」(43%)、反対(44%)という調査結果を発表した。数字の上で情勢が様変わりした格好だ。その直後、外遊中の文在寅ムン・ジェイン)大統領は電子決裁で李氏の任命を強行した。与党の意向に沿った世論調査が任命の正当性を支えた格好だ。

 

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 しかし、質問の内容が変わったから結果が変わっただけであって、世論が変わったわけではなかった。リアルメーターの初回調査での設問は「李候補者の憲法裁判官についてどう思うか」だった。そして、2回目の調査は「文大統領が聴聞報告書を国会に再度求めた。文大統領が李候補者を憲法裁判官に任命することについてどう思うか」だった。

 世論変化を見るためには、同じ設問を繰り返すというのが基本常識だが、あえて常識を破り、設問を変えた。李候補者を「不適格」だと考える人も大統領が任命すると決心した現実を考慮し、「賛成」と答える可能性がある。特に、2回目の調査の質問には「文大統領」が2回登場する。まるで任命に賛成するよう文大統領の支持層を誘導する総動員令を発したような表現だ。実際に李氏に対する文大統領支持層の肯定世論は54%から77%に上昇した。
 さらに深刻なことは「意のままに世論をごまかし、意に沿う世論にだけ従う」という独善的な国政運営だ。李氏の任命について、文大統領不支持勢力は最後まで大多数(83%)が否定的だったが、彼らを説得しようという努力はほとんどなかった。無論文大統領の支持層、反対層がいずれも納得するような候補者が立てられたわけではなかった。このほか、中小ベンチャー企業部(省に相当)の朴映宣(パク・ヨンソン)長官、金錬鉄(キム・ヨンチョル)統一部長官の任命に関しても、文大統領の支持層は82%が賛成したが、不支持層は81%が反対だった。ここでも反対派の意見は徹底的に無視された。所得主導成長に関しても、今年2月にエムブレーンが実施した調査で、文大統領の支持層は「引き続き推進」(64%)が多数だったのに対し、不支持層は「見直しまたは再検討」(85%)が圧倒的だった。政府は経済政策も支持層の意見ばかりを聞いている。

 

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 与党は20年、50年、100年の政権担当論をぶち上げたかと思えば、最近は総選挙で300議席中260議席を獲得すると言いだした。こうしたとんでもない発言を繰り返すのも支持層の結束にしか関心がないためだ。その過程で政府の考えに同意しない国民はまずます疎外されている。原則を無視する世論調査と一方の意見だけを聞くという権力が韓国社会をさらに分裂させている。

洪永林(ホン・ヨンリム)世論調査専門記者

 

 

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文在寅政権が見せた「道徳的優越感」の極致

【コラム】文在寅政権が見せた「道徳的優越感」の極致
2019/04/21 05:06

 4月6日、ソウル外信記者クラブ元会長のマイケル・ブリン氏が本紙に寄稿したコラムを読み、一方では恥ずかしく、一方では惨憺(さんたん)たる気分になった。ブリン氏は、(2014年4月に沈没して300人以上の死者・行方不明者を出した)旅客船セウォル号」の追悼施設を光化門広場に作ることは適切なのかと疑問を提起し「セウォル号の犠牲者は、国論を分裂させようとする韓国国内の政治的意図によって利用されていると思う」と記した。

 

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 恥ずかしかったのは、こうした指摘と問題提起を、韓国の記者ではなく外国の記者が行ったという点だ。「セウォル号事件」が韓国の地にとどまっていた5年の間、ブリン氏と同様の見解を持った韓国人記者がいなかったはずはない。にもかかわらず、私自身を含め、セウォル号の政治的利用と光化門広場への追悼施設設置の不適切さを本格的に指摘した記事を読んだ記憶はない。

 

 セウォル号を政治に利用する問題について私は、逆説的に歓待(?)しようと努めていた。セウォル号に便乗して前大統領と政権を追い払うことに成功した勢力は、「セウォル号」がありがたいと思うことはあっても、セウォル号を簡単に引っ込めることはできないだろう、と思ったからだ。


けれども、もうそんなことはやめてもいい時期になったと考え、光化門ではなくよそに移せばいいと思った。だが、私はそれを文章にできなかった。都合よく顔を背けたのだ。政権勢力や左派勢力の反対を大きくしたくなかったからではなく、セウォル号犠牲者の冒とくだという「レッテル」が嫌だったのだ。

 

 さらに重要なのは、私が惨憺たる気分になった理由だ。マイケル・ブリン氏が指摘した韓国人特有の「犠牲者フレーム」が心に引っ掛かった。ブリン氏は「今や韓国は世界で最も豊かで重要な国の一つであるにもかかわらず、自分たちこそ『邪悪な他人の犠牲者』だと仕立てようとする、道徳的優越感に陥っている」と指摘した。コン・ビョンホ博士は著書『左派的思考』において、道徳的優越感についてこのように記した。「『われわれ』と呼べる集団に属している人々が勝利するためには、『彼ら』より何か特別なものが必要だ。それは道徳的・倫理的優越性だ。(中略)386世代(1990年代に30代で、80年代に大学へ通った、60年代生まれの世代)の一部は、父親世代に『あのときあなた方は何をしましたか?』と尋ねたりした」

 

 

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 こんにち韓国社会に広がる左派的思考から見ると、右派的世代と過去の右派政権は屈辱的かつ敗北主義的で、自分たちこそ「積弊」を清算すべき「正義の戦士」だという意識が支配的だ。


揚げ句、文在寅ムン・ジェイン)大統領まで乗り出して「アカ」という言葉を口にし、「親日」を清算すべきだと公言した。

 

 

 文政権の特徴は、自分たちは道徳的で優れており、誤りはないかのように振る舞うことだ。過去の右派政権の全てを覆し、正しく人間らしい世の中をつくりたいというのだ。元・前大統領二人を含む過去の政権関係者およそ150人を監獄に入れてでも、「過去史真相調査」という名目で過去を覆し、過ぎ去った建国と民主化の歴史を再設定すると騒ぎ立てたが、韓国国民の呼応と関心を引き出すことには失敗した。文政権を構成する人々が過去の政権の人々よりもまし、という国民的認識はない。ないどころか、場合によっては過去の政権より狭い人材難に「似た者同士」「どんぐりの背比べ」な形で苦しんでいる。脱原発にせよ所得主導にせよ、4大河川(漢江、洛東江、錦江、栄山江)のせきの取り壊しにせよ、打ち出した政策はいずれも破裂音ばかり量産している。

 

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政権を取ってから2年もならないのに、文政権に対する韓国国民の疲労感と失望感は歴代のどの政権よりもひどい。北朝鮮問題を巡る批判に対しても攻勢に出た。反対勢力は韓米間の協調の枠組みを借りつつ実際は葛藤と対立の過去に戻ろうとしている-と反論した。自分たちが追及する「南北」は平和であって、その平和の条件に疑義を呈する批判は対決だとする二分法は、文政権の道徳的優越感の極致だ。

 

 結論として、今までの文政権の姿からは、彼らの主張もしくは自負に符合する道徳的優越性を見いだし得ない。彼らはただの「違うルーツ」だ。良い意味で違っていることもあり得るが、悪い意味で違っていることもあり得る。自分たちが追求するものにより謙遜で、他人の意見を尊重しつつ向かっていくのなら、良い意味で違うと言える。だが、今のように「お前らは騒げ、俺たちは俺たちのやり方でいく」だとか傍若無人に進んでいくのなら、悪い意味で違う方向へ流れていくだろうと断言できる。統一部(省に相当)長官任命の強行が、その「見本」だ。

 

 ピュリツァー賞に輝いた歴史学者バーバラ・タックマンは、著書『愚行の世界史―トロイアからベトナムまで』でこのように記した。「成功裏に終わった革命はどれも、自らが追い出した暴君の服を早晩身に着ける。悪政には(1)暴政または圧政(2)過度の野心(3)無謀または堕落(4)独善または我執-の4種類があるが、複数が結合しているケースが多い」

 

金大中(キム・デジュン)顧問

セウォル号追悼碑を光化門に設置は適切か

【寄稿】セウォル号追悼碑設置、果たして光化門は適切なのか
2019/04/21 05:03

 セウォル号の沈没から5周年を迎え、ソウル市は4月16日、光化門広場に死亡者304人をたたえる「記憶・安全展示空間」を設置し、公開することにした。ソウル市は来年、光化門広場を補修する計画で、この施設が期限付きになるか、あるいは常設になるかは、まだ決められていない。

 

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 2014年のセウォル号事故は壮絶さを極めた。犠牲者のほとんどが同じ学校に通う子どもたちだったということも、悲しみを一層深める要因となった。従って、当時亡くなった304人をこうした形でたたえるのに公的予算を投入すると言っても、誰も不平を抱かない。

 

 光化門を頻繁に行き交う人々は、光化門広場の南に建てられたセウォル号のテントには慣れているはずだ。これまでの5年間、うちの子どもたちもセウォル号のテント横の噴水でよく遊んだ。

 

 にもかかわらず、私はこの場所が果たして適切な場所なのかどうか疑問に思う。どう考えてもここは、セウォル号の追慕施設が立ち入るのにふさわしい空間ではない。

 

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 反対する理由は三つだ。


まず、光化門広場は韓国で最も有名な公共空間であるということだ。韓国の歴史上最も尊敬されている偉人の世宗(セジョン)大王と李舜臣(イ・スンシン)将軍の銅像が建てられている。船舶事故犠牲者たちをたたえる施設は、この二人が象徴する光化門広場のテーマにはふさわしくない。追慕施設が立ち入るにはここよりも、適切で意味のある空間が確かにあるだろう。

 

 

 二つ目に、ソウル市がここにセウォル号の追慕空間を設置しようとするのは「韓国人は犠牲者」という韓国特有の考え方に由来している。私はこうしたフレームが、すでに現実と大きく隔たりを見せていると思う。

 国家は、必ずしも君主や軍事的な英雄を通じて国家精神を表現する必要はない。平凡な人々に栄誉を与えようとする主張に、私は賛同する。いつの日か、汗して努力しながらこの国を貧困から救い出したごく普通の人々の銅像が立つことを願っている。この国の若い世代が彼らの親と祖父母の世代をたたえて「この国の最も偉大な世代に対して永遠の感謝をささげる」という献詞と共に建てられなければならない銅像だ。

 

 しかし、この国には自分こそ邪悪な「他人」の犠牲者だとアピールしたがる傾向があり、これにより自分は道徳的だと感じたがるきらいがある。


私たちが日本大使館の前で従軍慰安婦の少女像を見受ける理由がここにある。80年前のことをこうした方法で抗議するのは、外交史として前例がない。日本と韓国は共に民主主義国家で、近い友邦という点を考慮すれば、より異例的といえる。しかし、少女像の横のテントで寝泊まりする人々と毎週水曜日の昼食時にデモを繰り返す人々は、自らを正義と考える。自分たちが犠牲者としての韓国を代弁していると感じている。

 

 

 一人一人の国民がそうなるならまだしも、公職者たちさえこうした大衆の態度を支持し、大衆と同じように考えている。彼らさえも韓国を第三世界の貧困国と思っているということだ。現実世界では、すでに韓国は世界で最も豊かで重要な国の一つになったというのにだ。

 

 私が光化門広場にセウォル号の追慕施設を建てるのに反対する三つ目の理由がまさにここにある。私は、セウォル号の犠牲者たちが国論を分裂させようとする国内政治的な意図に利用されていると感じる。


 

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 昨年、文在寅(ムンジェイン)大統領は、セウォル号の惨事から4周年を迎え、フェイスブックに「セウォル号の悲劇以降、われわれは生まれ変わった」と書き「キャンドルデモも、新しい大韓民国の決意も、セウォル号から始まった」とつづった。

 

 文大統領が言う「新しい」大韓民国というのは何を言っているのか。韓国はすでに民主主義国家であり、すでにG20(20カ国・地域)に属する国家であり、先進国なのだ。セウォル号事故を通じて海運業ではいまだに腐敗が絶えないという点、危機対応能力が足りないという点が浮き彫りとなった。しかし、セウォル号とともに始まったという「新しい」大韓民国とは何なのか。大統領の言葉に込められた意味は、セウォル号の前までは指導者が不在で分裂していた当時の野党が今では権力を握るようになり、当時の与党が今では指導者が不在で分裂しているだけだと感じる。

 

 多くの文大統領支持者たちは、文大統領に先立って大韓民国をリードした人々は全て腐敗した者たちだったという印象を与えている。現政権は「前任者は汚れていて、われわれは純潔だ」というポーズを決め込む。しかし、最近聞かれる醜いうわさと、今後3年間聞かれると思われる醜いうわさは、必ずしもそうではないという事実を見せつけることになるだろう。

 

 私は、セウォル号の犠牲者たちが左翼右翼の政争に利用されているのではないかと懸念している。常に存在した政争ではあるが、犠牲者たちの魂は、多分国民を分裂させるよりも1カ所に団結させ、安らかに眠りたいと思っていることだろう。

 

マイケル・ブリン元ソウル外信記者クラブ会長

 

 

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徴用工の真実

自称「軍艦島の元島民」がでっちあげた「徴用工の奴隷労働」――加藤康子

世界文化遺産となった「軍艦島
 韓国の「徴用工訴訟」が止まらない。今月、日本製鉄、三菱重工などへの新たな集団訴訟が提起され、その標的となった企業も増えた。“元徴用工”たちは、過酷な生活を強いられたと言う。だがそれは本当なのか。「軍艦島」ではこんなデタラメな証言がまき散らされていた。
(現在、産業遺産国民会議のサイト「軍艦島の真実」にて、元島民の方々の証言を収めた動画「グ・ヨンチョルとは何者なのか」が公開中。 http://u0u1.net/SekL こちらも併せてご覧ください)

 ***

 

 

 


 韓国・釜山の日本総領事館前にいわゆる徴用工像を設置しようとしていた全国民主労働組合総連盟(民主労総)の、2017年8月大会の動画をYouTubeで見ていたときのことである。労働運動の闘士らしき人物がひとりの老人を紹介した。

「強制連行された軍艦島で過酷な生活を送ったお父様と、同じく過酷な暮らしをされた方がこの場におられます」

 そぼ降る雨の中、水色のレインコートを着た老人が登壇した。埋め尽くす観衆は一千人はいるだろうか、熱気が溢れている。老人は、大きな声でゆっくりと語りかけた。

「ご紹介にあずかりました具然喆(グ・ヨンチョル)です。軍艦島で六年暮らし、わたしが体験した事実を証言するために朝早く釜山を発ち、87歳の老骨に鞭打ちやってきました」

 降り注ぐ雨をものともせずに、老人は訴えた。

「わたしが見た軍艦島は、わが民族の最も痛々しい記憶の場所だと思います」

 演説は次第に熱を帯びてきた。ピンク色のカッパを着て傘をさしかけた女性は、心なしか目を潤ませているようだった。

 端島(はしま)は、長崎港の沖合約17・5㎞にある西彼杵(そのぎ)海洋炭田を鉱床とする炭鉱の島で、そのシルエットが戦艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれている。1890年以降、端島を経営した三菱は、ボタ(捨石)で周囲を埋め立てて島を拡張し、日本で最初の鉄筋コンクリートの高層住宅群を建設した。戦後、端島はわが国の経済復興を支え、最盛期には世界で最も人口過密な炭鉱コミュニティーだった。その後、石炭から石油にエネルギー転換が進んだことにより、1974年1月に閉山に追い込まれ、廃墟となった現在は長崎市が管理している。

 2015年7月、端島は「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一つとして、世界遺産に登録された。一方、2017年7月には韓国で「軍艦島」の題名で映画化、戦時中、過酷な労働があった島として紹介されている。そして文在寅大統領が「端島生存者」を光復節記念式典に招待すると、「民族の痛々しい記憶の場所」として脚光を浴びた。映画の封切りを前にして、誠信女子大学校の徐敬徳(ソ・ギョンドク)客員教授は、ニューヨークのタイムズスクエア端島の非道ぶりを訴える広告映像を発信した。広告に登場した寝掘りの炭鉱夫は、実際には昭和30年代の後半に日本人カメラマンにより筑豊で撮影された写真で、朝鮮人徴用工の写真ではなかったが、この写真が端島のイメージとして世界に拡散されていった。
「強制徴用」の語り部

 軍艦島をめぐる報道の中で、端島の元島民・具然喆老人(以下グ氏)の活躍ぶりは異彩を放っていた。2017年10月に釜山にある国立日帝強制動員歴史館で開催された「軍艦島証言及び懇談会」、2018年5月には、釜山総領事館前での強制徴用労働者像建立記者会見などに次々と出席、2017年9月20日に放送された「Hello tv NEWS」では、民主労総などが推進する「徴用工像」の横で拳をあげる氏の姿が紹介されている。

軍艦島で6年生活した。強制徴用で連行されたひとたちは、日本の無慈悲によって、その苦痛を口では言い表せない。凄絶な人生、足枷がなかっただけで奴隷だよ、完全に」

「中ノ島という小さな島があって、そこで死体を焼く煙が日に1、2回必ず立ち上り、火葬されるひとたちはみんな朝鮮人だった」

ユネスコに登録するならば、軍艦島の歴史的な事実を全部登録しなければならないのに、それを隠して、これは『国際的詐欺』じゃないか」

 グ氏は、キョレハナ旅行事業団が開催した「徐勝(ソ・スン)教授と共に行く第2回東アジア平和紀行」のツアーで、「里帰り」も果たしている。受け皿となったのは長崎市の岡まさはる記念長崎平和資料館であった。毎日新聞(2016年10月9日)や長崎新聞(同年10月1日)の紙面では、長崎を訪れたグ氏が、端島の展示に朝鮮半島出身者の過酷な労働の記載がなかったとして不満を述べている。

 2015年7月のボンの世界遺産委員会での登録に際し、韓国から構成資産において、対象の年代(幕末から明治の後期)とは異なる第二次大戦中の徴用の問題が提起された。これを受け、(一財)産業遺産国民会議は、戦時中の事業現場や暮らしについて一次情報の収集に取り組んできた。端島については元島民たちによる「真実の歴史を追求する端島島民の会」と共に、全国の元島民70人余の証言を集めてきた。

 元島民の思い出の中の端島は、グ老人の語る6年間の記憶に刻まれた「民族の最も痛々しい記憶の場所」や、「人間として生きられない地獄」とは全く違う顔をもっていた。彼らは口々に、朝鮮半島出身の友達と一緒に学び遊んだ思い出や、汗を流して働いたことを懐かしそうに語っている。戦時中を覚えている元島民はいずれもご高齢であったが、徴用工と共に働いた方もご健在で、写真や史料も少しずつ寄せられてきた。そこでグ氏が公開した六年間の端島での記憶を元島民たちと検証し、いかにギャップがあるかを紹介したい。
千人を虐殺? 

 グ氏は、韓国で伝記『神仏山(シンプルサン)―パルチザン グ・ヨンチョル一代記―』(アン・ジェソン著 出版:サンジニ)が出版されている。彼の激烈な半生を描いた本で、前半に端島でのエピソードが綴られていた。

 これには、島に住んだことがあれば誰もが知るはずの地理情報が誤っていた。「熊本は、海をはさみ端島からはっきり見渡せる場所であった」とある。

「絶対見えない」(中村陽一氏)

「間違ったって見えないよ」(坪内光興氏)

 と元島民たちは口を揃えて反論した。もちろんどこから見ても、端島から熊本が見えることはない。

 また、中には記憶違いでは済まされない驚愕のエピソードも登場している。

「(朝鮮人たちは)動物の檻と変わりがない合宿所に集団で起居しながら、毎日迫りくる死の脅威にさらされていた」

「(終戦後)朝鮮人は、彼らが連絡船で夜逃げしたことを知った。(略)島に残ったのは朝鮮人と沖縄人だけだった。実に奇怪な状況であった。大人は皆、日本人が去ったその夜にとんでもないことがあったのだと疑ったが、よもや千人をも虐殺するなど、純朴な朝鮮人の想像をはるかに超えることだった。日本人が中国人だけを坑内に閉じ込めて入り口を爆破して皆殺しにしたのではないかと疑うようになった」

 まず、1945年8月の終戦前後に、端島において、千人の人間が虐殺されたなどという事実はない。外務省が終戦の翌年に作成した華人労務者調査報告書(三菱高島礦業所端島坑)には、島内で就労していた華人労務者全員(183名)を社船にて、佐世保で米軍に引渡した記録が遺っている。終戦端島で迎えた元島民たちに読んでもらうと、全員が千人虐殺説に「絶対にあり得ない」と口を揃えて反論した。また、終戦前後、端島での騒動や混乱の記録はない。同じ島出身者なのに、なぜこのような荒唐無稽なエピソードがでてくるのだろうか。

 それ以外にもグ氏の演説や証言は、元島民にとって、首をかしげざるを得ないものばかりであった。

「朝、登校中に見た光景といえば、食料を得るために皿をひとつ持って列をなしていました。(略)その横には日本の軍人が棒を持って立っています。その前を頭も首もあげることもできず、皿だけを持ってわずかな食料を得ようと列をなしている様子を見て、あまりに凄惨だと思いました」(民主労総での演説)

 この証言に元島民の松本栄氏は、

「皿を持って、道路端で、お涙ちょうだい、おかずちょうだいって、こういうバカげたこと、さすがに三菱たるとこは、そういうことは許可せんですよ。見たことない。日本軍の兵士が、労務者の食事の監視をした事実もありません」

 と反論する。端島では、独身労務者の食事は寮の食堂で提供されており、道端で配膳することはなかった。

 グ氏はこうも語っている。

「登校途中の道端に労務者事務室があります。そこから来る日も来る日も悲鳴と叫び声が聞こえます。つま先立ちで窓から覗くと、(朝鮮の)青年たちを2~3名コンクリート塀の前にひざまずかせ棒で叩いているのです。『助けてくれ!』と叫んでいます」(民主労総での演説)

 

 

 これに対しても、「端島のどこで、そういうふうな状況、状態が発生しておったのかその場所を証明せよ、というふうに聞きます。逆にわしは端島で見たことないから」と松本氏は反論している。

「Hello tv NEWS」での「中ノ島で朝鮮人の死体を焼く煙が日に1、2回必ず立ち上った」という発言には、終戦の年の4月まで端島炭鉱の測量部署に勤めていた松本氏が、

「発生した事故の現場監督あたりが会議室に呼ばれて、事故の状況を報告せにゃいかん。それに基づいて、測量は、現場検証に行くわけです。こういうふうな状況でこの作業員が亡くなったということを、図面に描いて、しかもそれを文章化して、当時の鉱山監督局に変災(報告)書を書かにゃいかんのです。1日に一人も二人も死んだとなったら、私ども、それにかかっておらんばいかん。そういうことはまずありえん」

 と否定する。インタビューの終盤、

「真実は一つしかないんですよ。なぜこんないい加減な証言につきあわなければならないのか」

 と、松本氏の怒りがとうとう爆発した。
名簿になかったグ氏

 2019年2月4日、元島民の方々にご参集いただき、皆さんに写真や映像も再確認していただいた。グ氏は映像でも書籍でも「1939年に9歳で端島に来て、6年間住み、成績優秀で学校で級長だった」と話している。集会には来られない方にも事前に資料をお送りし、同級生や先輩後輩にも確認をしていただいた。会に参加された方も、参加できなかった方も、誰もグ氏の名前も顔も覚えておらず、その存在すら知らないという。

 島内に小学校は一つしかなく、戦時中は1学年が1クラスで構成され、5、60名の生徒数がいた。先輩後輩も一緒に遊び、「たばこを1本吸う間に島内を1周できる」とも言われるほどの小さなコミュニティーである。六年間も端島で暮らし、級長までしているのに、元島民の誰も知らないというのは実に奇妙なことである。加地英夫氏(「長崎端島会」会長)からご提供いただいた、明治27年から昭和22年までの端島小学校の卒業生リスト「端島校同窓会名簿」(昭和25年出版)も確認した。

 そこには、加地氏のお話に幾度も登場した郭山龍守さんの他、坪内氏が話す金、李、張さん等、朝鮮半島出身者と思われる名前がいくつもあった。しかし、どの学年の名簿にもグ氏の名前は見つからない。その場にいた元島民たちがとうとう口にした。

「このグ・ヨンチョルさんは本当に端島に住んでいたんだろうか」

「なりすましではないのか」

 集会には筆者の友人で新聞社のM氏も参席していた。グ氏について感想を求めると、

「どちらも嘘じゃない、やっぱりそこに真実があると思うんですよね。皆さんが言っていることも真実だと思いますし、徴用工の方たちが証言していることの中にも真実があると思います。ただそれをどう判断していくか、一方の主張だけが出回っていくのではなくて、今までに黙殺されてきた皆さんのお話っていうものも重要だと思いますので、そのあたりはですね、きちんと報道していけたらなと思っております」

 と、当たり障りのない返答であった。

 3時間以上議論しても信じてもらえないもどかしさに元島民たちが一瞬言葉を失ったその時である。端島で生まれ、戦時中の端島で少年時代を過ごした在日韓国人の鈴木文雄氏がマイクをとった。

「(居住歴がある)実在している人の自分の体験談とかであれば、それは親身になって聞かないといけないでしょう。グ・ヨンチョル氏の場合は(居住歴に関して)実在に疑問がある訳ですから、抽象的なことを色々と述べている訳ですけれども、それに対して彼の意見を尊重するというのは、まずあり得ないと思うのです」

 鈴木氏の両親は慶尚南道の出身で、父親は坑内で伍長として働いていた。氏は当時を次のように振り返る。

「戦時中に端島ではひどい目におうたねっていうような話なんか、全然聞いてないです。もう周囲の方たちも、皆、いい人でね。そんな悪い、負のイメージありませんしね。地獄で、殴られるリンチが多い、そういうような本当に地獄の島だったらそういう姿を見せるために(家族は)まず呼ばんでしょうね」

 会に集まった人は皆、グ氏について同じ事を考えていたようだった。加地氏は、「これはもう端島を知らない人が想像で書いたと思うんです」と言い、松本氏は「何か組織がかったものがあると。グ・ヨンチョルさんそのものは、(組織に)利用されとる。そういう感じを受けました」とまで話していた。
筋金入りの活動家

 名簿にもなく、元島民の誰もが彼を知らないと言い、証言も元島民と全く食い違うグ・ヨンチョル氏。彼は一体何者なのだろうか。

 グ氏の経歴に関して、公開情報では、1931年、慶尚南道梁山郡下北面草山里に生まれ、1939年に端島へ移住。端島高等国民学校二年に編入端島終戦を迎える。

 朝鮮戦争勃発により、グ氏の人生は一転した。1950年、朝鮮労働党入党。パルチザンとして山岳地帯を中心に米軍を襲撃する武装活動により逮捕され無期懲役。1974年に20年の服役後出所。筋金入りの活動家である。

 近年は「汎民連釜慶(釜山・慶北)」の連合顧問という重役にもある。この「汎民連」は、北朝鮮と韓国の両方に組織があり、「南側本部」は連邦制統一支持、米軍撤収、国家保安法撤廃を主張し、1997年大法院から利敵団体と認定されている。委員長を務めた文益煥(ムン・イクファン)牧師は、1989年韓国当局の許可なく訪朝して金日成主席と会談し、後に国家保安法違反等の容疑で逮捕、収監。死後北朝鮮から祖国統一賞が贈られ、切手にもなった人物である。民主労総の大会で、雨の中、老骨に鞭打ち、民族の怒りと自主独立を訴えるグ氏は、汎民連の顧問を務めるただならぬ活動家だったわけである。また公平を期すために、毎日新聞の知人を介してグ氏にも直接インタビューを試みたが、叶わなかった。

 軍艦島という小さな島は、今大きな問題になっている韓国のいわゆる徴用工判決のうねりの中では、取るに足りない小さな存在なのかもしれない。しかしグ氏の発言をそのままにしておくわけにはいかない。その言動は単に誤りということではなく、政治的意図が隠れている可能性さえあるのだ。

 日本は官民一体となり、日韓請求権協定により、2国間で「完全かつ最終的に解決され」「いかなる主張もすることができない」という前提で、歪曲された歴史にさえ、事実を主張することを遠慮し、慎み深く沈黙を通してきた。その一方で、日本への憎悪を煽る荒唐無稽な言動は、繰り返し世界中に流布され、今となっては定説になろうとしている。誤った事実関係を訂正せず、国際条約を守るべきという手続き論だけで、国際世論を説得できるだろうか。本稿を書いている最中にも、証言をいただいた坪内氏のご逝去の報に接した。元島民の名誉を踏みにじる「74年前の曖昧な記憶」が、人間の顔を取り戻すよう、戦中派がお元気なうちに対話を重ね、真実を紐解く努力が必要ではないだろうか。時間の猶予はない。

韓国の左派は歴史を武器にしてる

韓国の左派は歴史を武器にしている。だしぬけに民族主義を持ち出した。そんな中で、国はあさっての方向へと進んでいる。韓国の現政権は歴史の墓荒らしをしている。現政権が始めたことではあるが、この問題をそのままにしておくことはできない。どうせ始まってしまったのなら、是々非々を正確に明らかにしてけりをつけなければならない。

 

 

 孫恵園(ソ・ヘウォン)議員の父、孫竜祐(ソン・ヨンウ)氏は「スパイ」なのか「独立有功者」なのか、これから振り返ってみることにする。孫竜祐氏は、過去の政権で6回にわたり叙勲の審査で落とされていた。なぜ落とされたのだろうか。解放後、共産党の活動をしていた履歴があるからだ。

 ところが今の文在寅ムン・ジェイン)政権になり、報勲処が審査基準を変えた。「光復(日本の植民地支配からの解放)後の行いが不分明な者」も褒章できるようにした。ここには「社会主義活動の経歴がある者」も含められた。これだけでは足りなかったのか、皮宇鎮(ピ・ウジン)国家報勲処長は昨年2月、主務局長を帯同して直接孫恵園議員のオフィスを訪ね、そこで「(独立有功報勲を)再申請してみるように」と勧めた。本当に親切だといえる。大統領夫人と高校の同窓だという孫議員が、もしかすると報勲審査基準が変わったことを知らずにいるのではないかと思って、心配になったらしい。

 

 

 3月27日、韓国国会政務委員会で野党議員がこの問題を持ち出した。金鎮台(キム・ジンテ)議員は、孫恵園議員の父、孫竜祐氏のスパイ活動の疑いについて具体的な根拠を提示した。「1986年に治安本部、1989年に加平警察署長、1990年に城北警察署長名義で作られた資料に、孫竜祐氏のスパイ容疑のことが記されている」「警察の資料によると、孫議員の父親は1947年に北へ行き、48年に南へ派遣されて秘密工作を行い、6・25戦争(朝鮮戦争)当時は北朝鮮の中央政治局と接触して活動した」
 これに対し皮宇鎮処長は「資料の信ぴょう性は疑わしかった」と答弁した。すると野党側からは、本当に「疑わしい」のは警察の資料の信ぴょう性ではなく、皮宇鎮処長の判断能力だという批判が起こった。成一鍾(ソン・イルジョン)議員は「複数(3カ所)の警察署で作成された記録を信用しないのなら、どういう記録を信じるのか。逆の記録を言ってみろ」と詰め寄った。これに対し皮宇鎮処長は「(孫竜祐氏が)そういう活動をしていなかったという証言がある」と答弁した。

 皮処長が語る「証言」とは、1985年に元警察官二人が作成した疎明資料だ。内容は「孫竜祐氏は転向して警察の情報要員として活動し、左翼掃討に協力した」というもの。ところが12年前、こうした証言内容が正しいのかどうか調べてみようと報勲処がこの元警察官を訪ねると、既に亡くなっていた。結果的に皮宇鎮処長は、公共機関に該当する三つの警察署の公式記録は信ぴょう性が疑わしく、確認されていない元警察官2人の話は信じるに値する、と意地を張ったことになる。

 

 

 朴晟希(パク・ソンヒ)梨花女子大学教授は「国が後ろに進んでいる」と語った。「現政権は『積弊清算』から親日フレームまで、何もかも過去にこだわり、国の面倒を見ていないと心配する人は多い」という。「過去指向性」程度のものではなく、「退行性」を示しているとも語った。退行性とは、まともな人が突如として幼児のようなまねをすることを指す。マンションを建てておいて、洞窟に入って暮らそうと言ったりするようなものだ。韓国国民の考え、韓国社会の文化を、幾度もあべこべの方向に引きずっていっている。朴晟希教授は、問題は左派か右派かではなく、前進か後進かだと指摘した。現政権は国を後進させている、という意味だ。

 皮宇鎮処長は、金日成(キム・イルソン)の傍らで北朝鮮政権の樹立を巡り中心的役割を果たした金元鳳(キム・ウォンボン)を、独立有功者として叙勲する可能性もあると語った。現政権が過去を持ち出し、もてあそぶのを見ていると、そのうち「金日成叙勲の話も出そうな格好」だと本紙の社説は指摘した。
 今の政権勢力は、中途半端な官製民族主義を後ろ盾に、植民地時代のぼんやりしていた部分を再度ほじくり出し、一種の政治的人気取りをしている。いきなり「親日校歌」を変えようと人気取りが始まり、愛国歌(韓国の国歌)を変えようという声も強まっている。仁川市議会は、仁川上陸作戦の月尾島爆撃の被害を補償しようとしている。「70年前の過去」に身を躍らせているわけだ。

 全羅北道議会は、仁村・金性洙(キム・ソンス)が暮らしていた旧家の文化財について親日だと追及し、民俗文化財指定を解除せよと求める決議を採択した。慶尚南道では、イブキの木は植民地時代の残滓(ざんし)だからこれを引き抜こう、という声が上がったという。イブキの木を引き抜くというなら、今や韓国各地でシーズンを迎え始めた花見の祭典はどうなるのだろうか。「さくら」なのに、どうしてほっておけるだろうか。これこそ、韓国各地にあるサクラの木を全て引き抜くべきではないだろうか。

 韓国各地にある日本式の「居酒屋」、日本式の「すし屋」、木浦で文化財に指定されている敵産家屋、全て検証し、再審査し、閉鎖しなければならないのではないだろうか。三・一節になると韓国各地から訪問客が列を成して押し寄せる西大門刑務所も、本はと言えば抗日の闘士が拷問を受けた恥辱の場所なのだから無くすべきで、その傍らにある独立門は、併合条約に調印した国賊李完用(イ・ワンヨン)が扁額の字をしたためたのだから、独立門も壊すべきでないだろうか。植民地時代には朝鮮人の80%が創氏改名した。ならば今からでも、各家庭で創氏改名した祖父の墓はもはやお参りしてはならず、祖先祭祀(さいし)もやめるべきではないだろうか。逆説的に皮肉ったが、今の状態で進んでいくと、本当に国の先行きは話にならなくなる。

インスタ映えする消化器

 韓国で消化器を設置している家庭が少ないという状況を受けて、サムスンの子会社・第一企画が考案したこの「ファイヤーベース」。現在、ソウルにあるチェボル(韓国の財閥)が保険加入者を対象に、20万個配布しているそうです。

 


 コシウォンと呼ばれる安価な宿泊施設を含む韓国の居住スペースは、火災の危険性が高くなっています。現在の安全基準は古い建物は対象外となっているため、昨年ソウルのコシウォンで火災が発生したとき、寮のようなこの施設にはスプリンクラーすら付いていませんでした…。この火事では住民7名が死亡。また、韓国南部の小さな病院でも、スプリンクラー設備がなかったため37名が死亡するという火災事故もありました。

 「『このような事故が2度と起こらないようにする』と、また言わなければいけないのはとても恥ずべきことです」と当時、李首相はコメントしていました。

 韓国最大の財閥であるサムスングループは、サムスン火災海上保険を通して損害保険も提供しています。サムスン火災海上保険が国民を対象に世論調査したところ、韓国では家庭でも消化器の設置が義務づけられたにも関わらず、2017年の時点で58%の家庭が消化器を設置していないことがわかりました。

 
 

 このような課題に対処すべくつくられたのがこの「ファイヤーベース」であり、それはSNS映えもする新しい防災グッズなのです。

 一見、普通のかわいい花瓶です。が、割れると中から炭酸カリウムが飛び出します。酸素を抑制する炭酸カリウムは、世界中で粉末消火剤として使われている成分です。これは全米防火協会が唯一認める、粉末消火剤「パープルK」の主成分にもなっています。「パープルK」とはその名通り、消化時にはパープルの粉末で消化されます。一方、サムスンの炭酸カリウムは無色で一瞬で近くの火を鎮火します。

 その優れた消火能力を示した広告動画は2018年に公開され、瞬く間に拡散。2019年4月までに800万回以上も再生されています。
 動画公開と同時に第一企画社は、10万個の製造を開始。サムソン火災海上保険は、これの配布を行いました。「『ファイヤーベース』の着想元は、とてもシンプルなものです。それはサムスン火災海上保険の“いつも近くに優れたサービスを”というブランド哲学を保ちつつ、家庭で起きている深刻な火災問題の国民意識を高めることです」と、当時、第一企画のクティエイティブディレクターだったオ・ヒュンキュン氏は語っていました。

 現在、同社はこのプログラムの拡大を図っています。

 『Dezeen』誌の記事によると、「防火に無関心な韓国の人々に消火器を持たせるという戦略のもと、欲しいと思わせるようなユニークな消火器をつくりました」と、サムスンはプレスリリースで述べています。

 投げて消火するというアイデア自体は、サムスンが初めてではありません。例えば2016年のElide Fire Ball(初期消火救命ボール)も同じ原理です。しかしいずれにせよ、より多くの方が防災意識を持つに越したことはありません。

 

 

 

 

文大統領離れ

韓国・文在寅大統領の前途に暗雲が立ち込めている。
南部・慶尚南道の2選挙区で4月3日に投開票された国会議員の補欠選挙で、与党が事実上完敗し、有権者の“文在寅離れ”が鮮明になった。
保守系野党の自由韓国党が予想以上に善戦し、1選挙区で圧勝、もう1選挙区でも大接戦を展開したのだ。
朴槿恵前大統領の弾劾と逮捕で壊滅的な打撃を受けた保守勢力が、伝統的な保守の地盤である慶尚南道で復活の狼煙をあげたと言ってよい。
一方の政権与党・共に民主党は支持を伸ばせなかった。革新系の少数野党・正義党と候補者を)一本化した選挙区では当初楽勝が予想されたが、韓国党候補に逆転リードされ、薄氷の辛勝となった。
来年4月に予定される総選挙の前哨戦と位置づけられる選挙での与党“完敗”には、 文政権に対する有権者の不満の高まりがある。

 


 
大統領側近の不正疑惑に怒り

文在寅離れを招いた大きな要因が、政権幹部や閣僚候補による相次ぐ不動産投機疑惑の発覚だ。
特に大統領のスポークスマンを務めていた金宜謙(キム・ウィギョム)報道官が、日本円で2億5000万円もの不動産を購入していたことが判明し、国民を唖然とさせた。
金氏は銀行から1億円近い融資を受けソウル市内の再開発地区にあるビルを購入しており、再開発を念頭にした不動産投機の疑いがもたれた。
金氏は大統領府での勤務を終えた後に住む家として購入したもので、不動産投機ではないと主張。「妻が勝手にやったことで自分は知らなかった」と責任を押し付けた。
不動産価格の抑制は文政権の重要政策だ。
政権の顔ともいえる大統領スポークスマンが、裏では不動産投機で多額の利益を得ていたとすれば、許されるはずがない。
国民の怒りが爆発し、金氏は辞任に追い込まれた。

 


また3月末には、内閣改造で起用を決めた閣僚候補2人の指名を、不動産投機疑惑への関与を理由に撤回する失態にも見舞われ、最新の世論調査(4月5日発表)で文大統領の支持率は41%と急落、就任以来最低を記録した。
相次ぐ外交失態

外交当局の失態も相次いでいる。
韓国外務省はマレーシアを国賓訪問した文大統領に、隣国・インドネシア語で挨拶させたり、英文の報道資料でラトビアリトアニアエストニアの「バルト三国」を「バルカン諸国」と記載し、駐韓ラトビア大使館から抗議を受けて訂正したりした。。
今月4日には韓国外務省内で開かれたスペインとの次官級戦略対話の会場にしわくちゃな国旗を掲揚するなど、常識では考えられないミスが続いている。

 


康京和外相は同日、職員を前に「外交業務にわずかなミスも許されない」として「一人一人が使命感と職業意識をもって業務に臨むように」と綱紀粛正を呼びかけた。

文政権としては、4月11日の米韓首脳会談を成功させ、支持率回復につなげたいところだが、楽観はできない。
2回目の米朝首脳会談では、金正恩朝鮮労働党委員長が寧辺核施設の完全な廃棄と引き換えに、制裁の全面解除を求めたが、トランプ大統領はこれを拒否し制裁継続の姿勢を崩していない。
文大統領は北朝鮮の非核化進展には何らかの見返りが必要だとして、金剛山観光や開城工業団地など南北経済協力事業の再開を国連制裁の例外として認めるべきと主張してきた。
事業再開をテコに南北首脳会談を開催し、3回目の米朝首脳会談の橋渡しをする…というのが文政権にとってベストのシナリオだろう。
しかし、米韓首脳会談で南北経済協力事業再開にアメリカ側の理解が得られる可能性は低いと見られている。
北朝鮮も韓国に対し冷淡な対応が目立つ。開城の南北共同連絡事務所では北朝鮮の職員が一時撤収する騒ぎとなった。トランプ大統領北朝鮮への追加制裁の撤回を指示すると職員は戻ってきたが、北朝鮮が南北関係よりアメリカとの駆け引きを重視していることが露呈した。文大統領が求めている金委員長のソウル訪問も、実現のめどはたっていない。

 

 

 

 

 

 

「偽善的左派ジジイ」……若者の反発

朴槿恵前大統領を退陣に追い込んだ韓国のロウソクデモ。
民意が政治を動かした後に誕生したのが、文政権だ。
国民は腐敗した保守にかわる清潔な革新政権を期待した。
しかし、政権が代わっても不正は跡を絶たない。
「正義」「公正」を唱えながら、裏で不正蓄財に励む政府高官の姿は、偽善以外の何物でもないー。
特に20-30代の若者の間に文政権への幻滅と反発が広がっている。
背景には世代間対立も存在する。
文政権の中核を担う「386世代」といわれる層。1990年代に30代で、80年代に大学生活を送った60年生まれを指す。学生運動の全盛期で、高度成長と年功序列の恩恵を受けられた最後の世代ともされる。
高い失業率にあえぎ、結婚も出産もままならない生活を送る若者世代にとっては、目の上のたんこぶのような存在と映るようだ。
朝鮮日報によると最近、偽善的な行動をとる「386世代」を「進歩ジジイ」と呼ぶ新語が登場したという。韓国では革新系を進歩と呼ぶから、日本語では「左派ジジイ」とでも言えようか。
左派ジジイたちの裏表ある振る舞いは「ネロナムブル」という言葉に象徴される。
ネロナムプルとは、「自分のことならロマンスだが、他人なら不倫」の略語で、自分には甘いが人には厳しいことを意味する。
大統領をはじめ政権幹部が「ネロナムプル」な対応を繰り返している限り、文政権離れは止められないだろう。