セウォル号追悼碑を光化門に設置は適切か

【寄稿】セウォル号追悼碑設置、果たして光化門は適切なのか
2019/04/21 05:03

 セウォル号の沈没から5周年を迎え、ソウル市は4月16日、光化門広場に死亡者304人をたたえる「記憶・安全展示空間」を設置し、公開することにした。ソウル市は来年、光化門広場を補修する計画で、この施設が期限付きになるか、あるいは常設になるかは、まだ決められていない。

 

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 2014年のセウォル号事故は壮絶さを極めた。犠牲者のほとんどが同じ学校に通う子どもたちだったということも、悲しみを一層深める要因となった。従って、当時亡くなった304人をこうした形でたたえるのに公的予算を投入すると言っても、誰も不平を抱かない。

 

 光化門を頻繁に行き交う人々は、光化門広場の南に建てられたセウォル号のテントには慣れているはずだ。これまでの5年間、うちの子どもたちもセウォル号のテント横の噴水でよく遊んだ。

 

 にもかかわらず、私はこの場所が果たして適切な場所なのかどうか疑問に思う。どう考えてもここは、セウォル号の追慕施設が立ち入るのにふさわしい空間ではない。

 

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 反対する理由は三つだ。


まず、光化門広場は韓国で最も有名な公共空間であるということだ。韓国の歴史上最も尊敬されている偉人の世宗(セジョン)大王と李舜臣(イ・スンシン)将軍の銅像が建てられている。船舶事故犠牲者たちをたたえる施設は、この二人が象徴する光化門広場のテーマにはふさわしくない。追慕施設が立ち入るにはここよりも、適切で意味のある空間が確かにあるだろう。

 

 

 二つ目に、ソウル市がここにセウォル号の追慕空間を設置しようとするのは「韓国人は犠牲者」という韓国特有の考え方に由来している。私はこうしたフレームが、すでに現実と大きく隔たりを見せていると思う。

 国家は、必ずしも君主や軍事的な英雄を通じて国家精神を表現する必要はない。平凡な人々に栄誉を与えようとする主張に、私は賛同する。いつの日か、汗して努力しながらこの国を貧困から救い出したごく普通の人々の銅像が立つことを願っている。この国の若い世代が彼らの親と祖父母の世代をたたえて「この国の最も偉大な世代に対して永遠の感謝をささげる」という献詞と共に建てられなければならない銅像だ。

 

 しかし、この国には自分こそ邪悪な「他人」の犠牲者だとアピールしたがる傾向があり、これにより自分は道徳的だと感じたがるきらいがある。


私たちが日本大使館の前で従軍慰安婦の少女像を見受ける理由がここにある。80年前のことをこうした方法で抗議するのは、外交史として前例がない。日本と韓国は共に民主主義国家で、近い友邦という点を考慮すれば、より異例的といえる。しかし、少女像の横のテントで寝泊まりする人々と毎週水曜日の昼食時にデモを繰り返す人々は、自らを正義と考える。自分たちが犠牲者としての韓国を代弁していると感じている。

 

 

 一人一人の国民がそうなるならまだしも、公職者たちさえこうした大衆の態度を支持し、大衆と同じように考えている。彼らさえも韓国を第三世界の貧困国と思っているということだ。現実世界では、すでに韓国は世界で最も豊かで重要な国の一つになったというのにだ。

 

 私が光化門広場にセウォル号の追慕施設を建てるのに反対する三つ目の理由がまさにここにある。私は、セウォル号の犠牲者たちが国論を分裂させようとする国内政治的な意図に利用されていると感じる。


 

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 昨年、文在寅(ムンジェイン)大統領は、セウォル号の惨事から4周年を迎え、フェイスブックに「セウォル号の悲劇以降、われわれは生まれ変わった」と書き「キャンドルデモも、新しい大韓民国の決意も、セウォル号から始まった」とつづった。

 

 文大統領が言う「新しい」大韓民国というのは何を言っているのか。韓国はすでに民主主義国家であり、すでにG20(20カ国・地域)に属する国家であり、先進国なのだ。セウォル号事故を通じて海運業ではいまだに腐敗が絶えないという点、危機対応能力が足りないという点が浮き彫りとなった。しかし、セウォル号とともに始まったという「新しい」大韓民国とは何なのか。大統領の言葉に込められた意味は、セウォル号の前までは指導者が不在で分裂していた当時の野党が今では権力を握るようになり、当時の与党が今では指導者が不在で分裂しているだけだと感じる。

 

 多くの文大統領支持者たちは、文大統領に先立って大韓民国をリードした人々は全て腐敗した者たちだったという印象を与えている。現政権は「前任者は汚れていて、われわれは純潔だ」というポーズを決め込む。しかし、最近聞かれる醜いうわさと、今後3年間聞かれると思われる醜いうわさは、必ずしもそうではないという事実を見せつけることになるだろう。

 

 私は、セウォル号の犠牲者たちが左翼右翼の政争に利用されているのではないかと懸念している。常に存在した政争ではあるが、犠牲者たちの魂は、多分国民を分裂させるよりも1カ所に団結させ、安らかに眠りたいと思っていることだろう。

 

マイケル・ブリン元ソウル外信記者クラブ会長

 

 

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